株式会社アグリスタくましろの新井福美です

わたしたちが作っています

ごあいさつ

株式会社アグリスタくましろの新井福美です。
当社は主に南信州豊丘村の農家の皆様より担い手として農地を借り受け、りんご,桃,市田柿,お米などの栽培と販売を行っています。
経験の浅い会社ではありますが、研究熱心に、こだわりを持って農業生産に励んでいます。
特に市田柿に関しては従来の天日干し製法から、遠赤外線の効用を活用した製法を取り入れ、数年かけて指導していただき従来の市田柿より“ふっくら柔らかく甘い”市田柿の生産ができるようになりました。
お客様からも“柔らかい”“甘くて美味しい”と好評を頂くようになってまいりました。
一年をかけ、大切に,こだわりを持って生産・加工した当社の
“安心・安全”で美味しい果物を味わってみてください。

株式会社アグリスタくましろ
代表取締役 新井 福美

【新井福美プロフィール】

昭和33年2月3日 山のてっぺんの農家の末っ子の長男として生まれました。
小さい頃より農家の長男として手伝いを強いられ育ったおかげで力だけは有ったと思います。
高校で土木科を専攻し、卒業後神稲建設株式会社に入社して土木課勤務となり三十数年間県内及び浜松、豊橋の県外支店勤務で上下水道工事,道路工事,宅地造成工事等を担当してきました。
平成23年1月より神稲建設の子会社である“アグリスタくましろ”の部長を兼務。同3月取締役常務に就任、平成27年6月より代表取締役となる。
農業に関しては技術・知識とも乏しい為、専ら施設築造,改修等の作業を行いながら農業生産のお手伝いをしています。

アグリスタくましろについて

緑豊かな、信州豊丘村の農園です。
南アルプスのめぐみと太陽のひかりをいっぱいに浴びた果物たちの直売、遠赤外線での独自方法で、熱加工を行う市田柿などを生産・販売しています。

会社概要

会社名 株式会社アグリスタくましろ
店名 【市田柿専門店 金の柿】
URL http://agrista-kumashiro.com/
所在地 〒399-3202 長野県下伊那郡豊丘村神稲9182
電話番号 0265-35-9311
FAX番号 0265-35-9188
Eメール agrista@kumashiro.co.jp
資本金 5,000万円
主要取引先 株式会社満天星一休
丸昌稲垣株式会社
株式会社丸中中根園

アクセス

市田柿専門店・金の柿 店長ご挨拶

こんにちは

アグリスタくましろのスーパー事務員、武田めぐみです。

豊丘村の自宅で生まれて豊丘村育ち、この緑と清流の村で元気いっぱいに育ちました。保育園のころから外で遊ぶことと水泳が大好きで、小学生の頃は「くろんぼ大賞」低学年の部、高学年の部の2冠を達成したほどでした。
それに反して母親は私に「女性らしく」を求めたのか、ピアノ教室と書道教室に通わせ週に2日は習いこと日でした。ピアノ教室の先生はとても厳しくて嫌々通う教室でしたので上達もせず中学生まででした。字を書くことは好きで、書道の上達は良く、師範の免許をいただけるまでになりました。今思えば、切り詰めた生活費の中で教室に通わせてくれた親に感謝する気持ちでいっぱいです。

地元に就職、そして結婚

豊丘村が大好きな私は、地元に役立つ仕事につき、地元地域を知りますます豊丘村が好きになり、人脈も増えていきました。そんな中出逢った地元の男性と結婚、出産。「自分の子供は自分が育てる」という意思で仕事を辞め専業主婦となり子育ての始まりでした。

再就職

子育てが一段落し、ある会社の臨時職員、また派遣社員と経験し、その派遣会社を通じて工務店の事務員として再々就職。今まで経験したことのないことばかり。聞いたことのない材料や部品・作業工程の専門用語で職人さんたちとの対話に苦労しました。5年ほど経ち、仕事も対人関係も慣れてきて先を見通して作業ができるようになったころでした。
突然の会社倒産。事務員だった私は「罪悪感」いっぱいになり次の仕事への意欲など全く湧かない日々が続きました。

アグリスタくましろとの出会い

前会社でお世話になっていた方へ挨拶にいったときのことです。
たまたま海外旅行のお土産を持ってそこへ来たのがアグリスタくましろの元社長でした。名刺を頂戴し、会社が倒産し失業状態であることをお話しました。
そして半年後、私はアグリスタくましろへ就職することとなったのです。

レシピの提案でお客様に声をいただけたこと

事務員として採用された私でしたが、経理事務をしながら「ケールの青汁」を売ることが私の仕事となりました。商品を販売することは経験がなく、来てくれるお客様の対応が精一杯で、どうしたらいいのか?不安の毎日でした。
そこで、ケールって何だろう?と私が思うってことは、お客様はもっと知らないだろう!栄養豊富で野菜の王様と呼ばれるケールをもっとわかりやすく伝えられるようにチラシを作成し、パッケージをリニューアル。そして付随商品(麺類やふりかけ)を使ったレシピ集を作成してみました。そのレシピ集を作ったことで「食べ方がわかって嬉しい」「プレゼントに使いたいからレシピ集を入れたギフトにしてほしい」などの声をいただき嬉しかったことを思い出します。

地元の素材を使った商品開発へ

その後、地元の素材で何か商品を作りたくて限定販売した4色うどんを提案し商品化を行いました。四季を意味する4種類、白いうどんの「春のはなびら」(ハナビラタケ)、橙色の「こがねの夏」(トマト)、灰色の「秋のはざかけ」(古代米)、そして緑の「はなびらの冬」(ケール)を1箱に詰め「四季菜(しきさい)うどん」としました。カラフルな見た目と素材の面白さが評判を呼び、手土産や返礼品にご利用いただくことができました。
私の発案したものを商品化して販売される喜びを感じました。

ほかとは違うアグリスタくましろだけの市田柿

もともと農業生産法人のアグリスタくましろは、年間売上の約6割を市田柿が占めています。
当初はJAで提供しているパッケージで販売していた市田柿でした。それをなんとか「アグリスタくましろの市田柿」として知ってもらいたい!という気持ちが社員にも多くありましたので、オリジナルパッケージを提案しました。
和紙袋に入れ黒い貼り箱に詰めた高級感のある商品と、2個ずつの小袋を白い貼り箱に詰めた女性向けの清楚な感じの商品をつくりカタログに載せたところ、シーンや好みによってご注文いただけるようになり、お客様層が増えてきています。
オリジナルのパッケージにより、遠赤外線効果の熱処理を行う加工方法での「ほかとは違う」アグリスタくましろの市田柿を皆さんに知っていただきたい!という思いでいっぱいです。

美味しさといっしょに健康を届けたい

アグリスタくましろの商品は「健康」でいられる「こだわり」の製品を提供しています。続けられるもの、材料や製法がはっきりしたものを大事にできる製品を伝えて行きたいと思っています。
地元を大切に思うお客様には「変わらない美味しさ」を、それ以外の全国の皆様には「こだわりの美味しさ」をお伝えしたいと考えます。

新たなところへ

 経理事務、個人注文対応、商品発送、商品開発、パッケージ提案等いろいろな仕事を任されている私です。上辺だけで理解したと勘違いしているところも多くあります。これからはもっともっといろいろな方々に出逢い、いろいろなものを見ることで、知識を豊富にし、発想豊かになりたいと思っています。
そしてなんといってもアグリスタくましろの「こだわり」を全国の皆様に伝えたいと思っています。

 

スタッフ紹介

アグリスタくましろのスタッフを紹介します。

社長と私(店長)の他に4名という少ない人数でそれぞれが柿・桃・りんご・米・野菜の担当をもち、責任持って栽培を行っています。
体型も性格もいろんなタイプが揃ってます。

高塩俊和 〔市田柿・桃〕

東京上野の出身。入社8年。農業経験は無かったのに今は農業部門の中心人物です。
アパレル会社の経験からか、品質と数字に厳しく頭の回転が速いのです。
家に帰れば二児のパパ。市田柿の季節はあまり家にいないんだろうなぁ~
只今ダイエット中。

松尾貴仁 〔りんご〕

入社8年。今のスタッフの中では二番目に若いけど一番先輩です。
車のエンジニア経験のある松尾君には、農機具類のメンテナンスに頼ってます。
りんごを見る目はすごくて、みんな同じ顔して見えるりんごの中から瞬時に選別しちゃいます。
細かいところまで気を配り、気が済むまで仕事して会社に泊まっちゃうこともありました。
こちらも二児のパパ。

中島広樹 〔米・ブルーベリー・さくらんぼ〕

入社3年。「ブルーベリーをつくりたい」の一言でブルーベリー園ができました。
体は大きいんだけど「小さくて可愛い物が好き」というちょっと心配性の小心者?
ブルーベリーやサクランボの観光農園が夢!
健康のために一緒にダイエットを薦めているところです。

吉川 亮 〔りんご〕

入社1年。松尾君より若い社員ができました!
前職は朝5時出勤で、牛1頭を解体していたという吉川君。
夏の桃収穫もへっちゃら!若いのに早出もOKなんて頼もしいのです。
黙々と仕事をこなすタイプ。コミュニケーションとって楽しく仕事ができるようになりたいね。

 


~美味しい市田柿作りへ~

東京でストレスに潰れそうになった自分が、
ひょんなことから長野県にIターンして、
美味しい作物作りと豊丘の美味しいものを全国に販売するまでの物語

Iターン農業人高塩です

東京から南信州豊丘村へ来た、Iターン農業人、高塩です!

 東京下町の八百屋の長男として生まれ、保育園では健康優良児、小学校では落ち着きがなく、人の話を聞きなさい!と通知表に書かれるような元気あふれる子供で、小学校三年から野球を始め、いつかプロ野球の選手に!と、夢をみていた少年時代でした。

小学校時代の少年野球ではリーグ選抜に選ばれるも、補欠扱い。代打で打ちたい人?の監督の問いかけにいち早く反応し、代打で出場するも、空振り三振。ここでプロ野球の夢は潰えました。
中学、高校と野球は続けるものの軟式で、結果は出ず、大学では草野球どまりで野球とは決別。

アパレルメーカーの販売職へ

 就職先は洋服が好きだったという理由だけで、アパレルメーカーの販売職へ。
しかし、持ち前の明るい性格、人懐っこさが幸いしたのか、なかなかの販売実績を誇り、年間売上でも常に上位にランクイン。年間MVPをいただいてパリ研修旅行へ行ったこともありました。
販売員からエリアマネージャーに昇進、販売面での実績を買われ、入社10年過ぎて本社企画職へとステップアップ。
入社以来、紳士服の販売で培ってきたお客様目線の感性をモノづくりに生かし、ヒットアイテムを多数生産することができました。
そして今度はレディース事業部へと異動になりました。ここが人生の分かれ道だったかもしれません。

大きなプレッシャーの中で

もともと洋服が好きでこの仕事に就いたのですが、それは紳士服のこと。婦人服は興味もなく、商品知識も紳士服とは違い、女性の感性を理解することはそう簡単なことではありませんでした。
婦人服の営業職では経験のない百貨店との商談、セレクトショップの商品企画職になれば、年間の商品ストーリーを考え、それに合わせての商品づくりと店舗レイアウトの計画と、経験のない仕事に追われる毎日となり、大きな金額の予算を与えられ、大きなプレッシャーにつぶされそうになりながら、毎日日が変わるまで働いていました。
そんな中、2008年、結婚!気合をいれて頑張らねば!という思いを胸に仕事に打ち込みました。
しかし、どこかで興味をもてない婦人服にかかわることにやはりストレスが蓄積していたのかもしれません。
いつしか耳鳴りが続き、突発性難聴になり、健康診断では要検査が多発、ストレスは明らかに体調の変化になって表れてきました。

とうとうプータローに・・・!!

 担当ブランドも不採算が続き、ついにはショッピングセンターから撤退の危機に。
「この仕事、あわないなあ」といつしか思うようになっていました。
そして12年務めたアパレルメーカーを退社。プータローとなり、半年間の人生最大の怠け者となるのです。
夜遅くまでゲームをして、お昼に起床。こんな毎日が続きました。
体重も人生最大まで増加。さすがにこれはまずい、と思い、次の人生を考え始めるようになりました。

自然の中で田舎暮らしがしたい

 もともと、アパレル職時代も、ストレス発散の方法は現実逃避して自然の中に身を置くことでした。
月に一回は山奥の秘湯へ旅行したり、冬は雪山へスノーボードにでかけていました。
何も考えずに山の中でマイナスイオンを吸い込み、硫黄臭の白濁温泉につかる。
ただ一日中、休みなくスノーボードですべりまくり、温泉で疲れを癒す。
自分探しの旅の終着地は、自然の中で田舎暮らしがしたいという思いでした。

農業人フェアにて

 それからは、いろいろ情報収集を行い、住む場所の候補は上がってきましたが、やはり仕事がないと生活できない、という答えがどこからも返ってきました。
そこで東京にいながら、いろいろな地方の就職セミナーに参加しました。
もともと八百屋の長男で青果に関係する父の背中を見て育ち、アパレルメーカーでモノづくりを経験し、野菜や果樹を作ることに興味を持ち始めていました。
そんな中、東京で農業人フェアというものがあり、参加していろんな企業のブースで話を聞きました。
性格上、あまりギャンブル的な行動ができない自分が選択したのは農業法人で給料制で働くことでした。
安易な考えでしたが、結婚してましたし、安定を求め、会社組織で農業をやってみたいと。
そこで住みたい地域の候補地である南信州の企業で、フェアに出展していたのが弊社でした。

縁もゆかりもない南信州に移住

あまりブースはあまり賑わい感がなかったですが、その分じっくり話ができ、その後、とんとん拍子に面接までいきました。
当時の社長は、「東京もんがほんとにこんな田舎で農業する気あるのか?」ということが気がかりだったようで、自分が考えていた、志望動機などの面接で聞かれそうな質問の答えを準備し、30代半ばにして受ける就職面接にがちがちになっていた自分には、拍子抜けした面接でした。
結果は見事合格。奥さんと二人、縁もゆかりもないこの南信州に移住することになりました。

東京にいる人たちへ安心、安全な農作物を届けたい

入社してからは、農業未経験な自分でしたが、当時の厳しい上司の教えもあり、年間作業をいち早く覚え、いかに農業で利益を生み出すことが大変かを体感しながら、収益率の良い作物を選択しながら農業の規模拡大をはかってきました。
東京からのIターンということもあり、やはり東京にいる人たちへ、安心、安全な農産物を通じて、自然の良さ、とれたての果物のおいしさ、食べた時の幸福感を味わってもらい幸せになってもらいたいです。
販売職をしていたころから、似合わないものは似合わない!とお客様に言うタイプでした。
今は、自分の作ったものがこれだけおいしいですよ!と自信を持って言えるようなモノづくりを目指しています。

おいしいと言っていただける喜び

市田柿は遠赤外線を用いた加工法を取り入れ、従来よりも柔らかく、甘い柿を作れるように腕をみがいています。
柿でも販路を模索し続けたり、会社の施設に改良を加え、より効率よく、品質の良い市田柿を生産できるようにしています。今年から柿でも小売りのアイテムを増やして、インターネットや店舗などで直接お客様に販売できるように企画しています。

楽しみながら儲かる農業を!

将来はこの豊丘村の名前がいまより全国に知れ渡り、弊社商品がその中でも品質、味の良いものとして認知されるように、農産物の生産から販売までを手掛けていきたいです。
そして、食べていただいたお客様がこの地に訪れたいと思えるような、観光農園、農産物の生産を行っていきたいです。
桃のもぎとり観光もご近所さんとの世間話から広がった事業ですが、ここを起点に観光事業を拡げ、当面はサクランボのもぎとり観光ができるように幼木を育てていて、楽しみながら儲かる農業を目指していきたいと思います。

PAGETOP